【代表が語る】WESEEKヒストリー⑥ー高度成長、GROWI.cloud というアイデンティティーの確立ー

こんにちは。WESEEK代表の武井です。

前回のエントリー「【代表が語る】WESEEKヒストリー⑤ー冬の時代と再起ー」は2016年までのお話でした。そこから2021年現在まで約5年、高密度ながら拡大の一途を辿ったWESEEK、その近代史と近影をお届けします。

ゲームのリリース記念に撮影された1枚(ユニオンビルにて)

ゲームのリリース記念に撮影された1枚(ユニオンビルにて)

旧高田馬場オフィスに人があふれる

この頃のオフィスは、高田馬場にある「ユニオンビル」。約17坪の元住宅物件をオフィス用に改修した部屋に入居してた。懐かしい。

ゲームのリリース記念に撮影された1枚(ユニオンビルにて)

ゲームのリリース記念に撮影された1枚(ユニオンビルにて)

この時請けたソーシャルゲーム開発のプロジェクトが猫の手も借りたい状況で、デザイナー・クリエイターリソース強化の必要があったため、知人の武蔵野美術大学の学生さんをインターンとして採用した。その最初の一人がプロジェクトに数人の友人を呼び込んでくれ、その中の数人が更に数人の友人を呼ぶ形で、一時社員・インターン合わせて15人が約17坪の部屋にひしめき合うという、今から考えると消防法完全無視の状況で約半年開発を行った。

インターンと「血の巡り」の話

この時のメンバーとは休日に家にあつまってボードゲームをしたり運動不足解消のため一緒にボルダリングに行ったりしたのだが、会社の仲間とそういったプライベートでの交流を深められたのは実は久々だった。自分たちが大学生の時を思い出したよね。

学生の活気が注入されたWESEEKを見て、インターンの重要性、とりわけ人材流動性を意図的に起こすことで企業の血液循環が促進されるのだという感覚を得たのは、この先の HR 戦略にとって大きな意味をもつ。

”WESEEKはこれからどんどん大きくなります”

お金の話も書こうかな。

創業当時から収益の柱は受託開発で、2016年は大手通信会社からの案件を受託、これが長期で契約を更新していける仕事になり、収益の柱として順調に成長した。

狭かった高田馬場オフィスから飯田橋のオフィスに引っ越したのが2017年。当時ビジネスサイドのパートナーシップを組んでいた会社の代表は僕より少し年上だったのだが、彼から「WESEEKはこれからどんどん大きくなりますよ」と予言された。当時は「いやいや、うちは少数精鋭でやってくから」と答えていたが、それは紛れもない本心だった。

拡大が数字に表れる

WESEEKは外部資本をバンバン入れるスタートアップではなかった。個人事業主や中小企業の経営者を一度やったことある人ならわかると思うが、オフィスを広くしたり人を増やしたりするに従って毎月の固定費が数十万、数百万と膨らみ、それに耐えうる収益を堅実に積み上げる。その成長の過程で通帳の残高の振れ幅がだんだん大きくなることに不安を覚えたり金銭感覚が麻痺してきたりというのは誰しもあるだろう。

リスクとリターン

飯田橋のオフィス

飯田橋のオフィス

ガラス張りで会議の様子が確認できる

ガラス張りで会議の様子が確認できる

運転資金はこの頃既に政策金融公庫とか地銀にお世話になり、借り入れを行っていた。
飯田橋のオフィスでは初めて内装工事というものを行ったため、敷金礼金から什器の調達、内装工事まで、全て含めてたしか800万くらいかかったと思う。このタイミングで借り換えを行う。無担保無保証ではないので当然代表が連帯保証人になる。庶民的感覚を多分に持つ僕の中ではそれは長いこと「拡大のリスク」だったが、

「え?借金?800万?」

みたいな感覚はこの頃さよならしたように思う。僕の中の「拡大のリスク」への恐怖心を取り去ったのは従業員だった。

彼らは会社の売上が上がれば純粋に喜んでくれる。
もちろんそれが自身の給与に転嫁されればもっと喜んでくれる。
大きな仕事、ビッグネームからの受託なども喜んでくれる。
中には「やっていることは大きければ大きいほどよい」と言い切るものもいる。

そのような彼らの純粋な感覚、「経営者が持ちにくい感覚」が、経営者の僕を変えた。自分たちの会社が大きくなったと喜んでくれる、代表がリスクをとればそんなリターンが手に入るならそれでいい。うちは大幅な縮小に繋がるような取引の選び方はしていないし、なにより僕が心配するような状況に陥るほど、うちに揃っている武器はなまくらではない。

なければ作ってしまえ!GROWI の誕生

翻って自社開発の話。

WESEEK が創業から使っていたナレッジベースが PukiWiki だったのだが、更新が止まって久しかった。いろんな OSS や SaaS を試したけどしっくりこない、そんな中で出会ったのが Crowi だった。

最初はコントリビュートする形で機能追加を行い自社採用を目指したのだが、いろんな障壁もあって断念。「なければ作ってしまえ!」でフォークして GROWI を開発することにした。

当時のことは Qiita の記事に残してある。

最強のWiki「Crowi」のフォーク、「GROWI(旧crowi-plus)」を公開した話

この記事がそこそこ注目を浴びたことがきっかけで、趣味の開発から会社の事業に据えることを決める。2017年5月、WESEEK が自社開発かつ OSS 開発をやる企業になった。

人材の多様性

GROWI 開発によって個人的には仕事への熱がかなり上がっている状態だったが、社内はかなり落ち着いて、いや落ち着きすぎていた。ソーシャルゲームが安定運用段階に入ったこと、武蔵美のインターン生が就活を始めたことでWESEEKオフィスに出入りする人数はまた10人弱の水準に戻った。

ーー活気が、血の巡りが、人材の多様性が必要である。

その思いから、インターンの積極採用を始めた。毎年Q4(1月~3月)に10人前後を継続して採用しており、2018年以降ずっと、社員よりインターンの方が多い状況が続いている。この辺りの話はゼロワンインターンの導入事例記事、「インターン採用成功の鍵は「社長の面接」。育成担当の意識が変わったワケ」にある。

また、多様性の確保とリソースの補強はインターンだけではない。

  • 女性エンジニアの雇用
  • インターンからの正社員雇用
  • 非エンジニアリング部隊の創設
    • 戦略企画室
    • マーケティング推進室
  • デザインを専門にやる会社とのパートナーシップ

思えば様々な施策をやってきたなと思う。これらの取り組みについては、また別のエントリーでひとつひとつ詳しく書きたいと思う。

GROWI.cloud

GROWI が少しずつエンジニアに評価されはじめたころ、有料でもいいから専門知識を必要とせずマネージドで提供される GROWI はないのか?という需要が少しずつ生まれ始めた。当時は docker-compose による配布 が主で社内利用していた GROWI でも同様の機構で運用を行っていたが、バージョンアップやトラブルシュートを自分でやるのはやはり面倒だった。

そこで 2018年の夏、合宿で GROWI.cloud のプロトタイプを開発。そこから受託開発の合間を縫って時間をかけてサービス開発を続けていった。

  • 2018.08 クローズドβテスターを募集
  • 2019.08 オープンβとして公開
  • 2020.09 正式公開

GROWI は WYSIWYG ではなく Markdown というポータビリティの高いテキストデータを入力し、その情報を Wiki という宗教(編集権限を限るのではなく、誰しも編集できるようにして生きた情報を維持すべきという考え)の基で共有を行うツールである。

そのため初期のユーザーには特にエンジニアが多く、採用されるケースも小さなチームや大学の研究室が多かったが、最近では大手企業や非エンジニアが多い環境にも導入されるようなケースが増えてきている。また導入企業の中には誰もが知っている有名企業もちらほら見受けられるようになってきた。情報共有ツール・ナレッジベースとして市民権を得てきた感覚があって嬉しく思っている。

長らく WESEEK は受託開発の企業であった。しかし今は GROWI.cloud がある。

GROWI.cloud は僕のこだわりでかなり抑えた価格設定になっていることもありまだまだ黒字化は遠いのだが、毎日使うツールを開発しサービスとして提供するというのは起業した時からやりたいことの一つだった。「WESEEKは何をやっている企業なのか?」の 2021 年時点でのアイデンティティーとなる大切なサービスなので、これからもユーザーさんの声を聴きながら、自分たちが作りたいものを作っていこうと思う。

WESEEK ヒストリー 最終回にあたり

牛歩で進めてきた「WESEEKヒストリー」シリーズですが、2005年から2021年まで一通り嘗めたところで一旦終了となります。
振り返ると結構かかったなあという感想…いや始める前は全4回くらいで歴史をさらっと紹介するつもりだんたんですよ。それが過去を思い出し筆を執る度に重くなっていって、途中からは企画室の太田さんに壁打ちしてもらって「そのエピソードは一旦軽めで通り過ぎて、別のエントリーで詳しく書いたら?」みたいな助言をもらいつつ、1回あたりの分量を抑えてなんとか全6回分くらいで書き切るというのを目標として定め、やっと最後のエントリーを迎えました。

いやあ淡々と歴史を綴っていくのって難しいね。何かしらの事件が起こった時ってそこには思いがあるわけで、呼び覚まされた当時の感情を抑えつつ当時思っていたこととその決定理由を記述していくというのは、自分が思っていた以上に大変だった。

今後はあるテーマに着目したエントリーを単発で書いていこうと思います。自分が思っていること、今の自分とWESEEKを形成した過去の出来事、影響を受けた言葉とかを書いていきたい。

シリーズは終わるが WESEEK ヒストリーは続く

そしてこのシリーズは終わりますが、WESEEK の歴史は現在進行中でまだまだ続いていくし、会社もまだまだ変わっていくと思います。もしかするとこのシリーズで書いていた思いとの整合性が取れなくなる時が来るかもしれないけど、その未来では僕はその時点の最良の選択を模索していると思うし、ヒントがなくなったら自分が書いたエントリーを読み返すのもいいかもしれない。なにより WESEEK には優秀な社員達が実装したオートヒール機能が備わっているので、道を誤りかけたらきっと周りが正しい方に導いてくれると思う。だから今後の WESEEK ヒストリーに関しては楽観視しています。

ただ、一方で常に馬なり走行ではだめだとも思っている。

企業の魅力は絶えず磨いていかないといけない。その中で僕が代表としてやるべきは、時には安全弁を取っ払って少しでも挑戦的・前衛的なマインドを吹き込み、推進力を生み出していくことだと思っていて、そんな動きをする僕に呼応してくれる人を何人増やせるか、それが代表および戦略企画室としての今後の課題です。そんな WESEEK が今後どういう会社になっていくのか、このブログを通して一人でも多くの WESEEK ウォッチャーが増えてくれたら、ブログを運営する企画室としてこれ以上の喜びはありません。

今後とも WESEEK, Inc. をよろしくお願いいたします。

今月のありがとうセルフィー

今月は戦略企画室から、最近社内ブログでもいろんな記事で活躍している塚田さんとのありがとうセルフィーです。

塚田さんが書いてくれた最近の記事での個人的なお気に入りは、【WS雑貨店】商品紹介Vol.1、それから tech ブログでの「【番外編】WS流プランニングポーカー」。

いつも表情豊かで、企画室を和ませてくれて、そのパーソナリティは特に WESEEK 雑貨店のような企画では適役だなと思っていました。
企画が走り始めたらその狙い通り、これまでの企画室では難しかった新しいタイプの人的交流を生み出してくれました。WESEEK 雑貨店のグッズの話も社内でしばしば会話のネタにあがるようになり、想像以上の成果をあげてくれたと思っています。これからも一緒に会社を盛り上げていきましょう。頼りにしてる。

他の【代表が語る】をご覧になりたい方は、

からご覧ください。